私は完全な体罰否定派ではありませんし、 生徒が私語や授業妨害をする事等は言語道断で、体罰が駄目ならば、 それに代わる罰則があっても良いと思えるのです。 私は学生時代も基本的な事は聞いており、(と云っても規則の上にあったのでそれを なくすといけないですが)非行や校則違反等の問題も起こしませんでした 唯、怖い教師(あくまで私の学校に居られた先生ですが)はその様な生徒より、 不良予備軍的な生徒を好み、体罰も罰則ではなく鍛える為に使うと云う事をモットーと しておりました。 私の同級生に 「喧嘩で強く成れ」と父親から体罰の日常で育ち、 「喧嘩で負けると」父親から更に体罰を受けていた方が居りました 彼は普通の教師の私語や提出物を出していない、掃除をやらないと云う事には暴れ、 先述の教師が「気合を入れる」と殴ったり、「白でも黒と云え」と云うと 受け容れておりました 彼からすれば、「叶わない 強いから従う」(そこには愛情もあると思いますが) 先述の教師の側からすれば、「鍛えがいがある生徒」と云う事に成るのでしょうか? 彼とその教師の関係はそれで良かったのですが、先述の教師は全くタイプの違う生徒にも 同じように接しておりました 組織によっては、非道をしなくても、「血の気が少ない」と 云う時点で欠陥になるのでしょうか? (保守的な感覚で体罰肯定を説く方等の意見はその様な感覚の方が多くおられます 学校には色々な生徒がおり、彼らを躾、個性を引き出すと云う役割は担っていると 思えるのですが、 怖い教師は普通に基本的な事を聞くが絶対服従等は出来ない生徒が一番扱い難いと 云う意見や 「不良生徒を圧倒的な力で従わせる」と云う事も不良には必要ですが 「普通に云う事を聞く 他で失礼な事をしてまで特定の人間に絶対服従できない」 と云う人間が嫌われる傾向にあります) (田母神俊雄氏や戸塚宏氏の「強く逞しい人間を育てる」のは彼等が第一であり、 「理屈の正しさ」で行う人間は鍛えられないので駄目なんですね?) この辺りの事をご回答いただきたいと思います
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